鳥取大学医学部附属病院高度救命救急センター教授・上田敬博さんが話題になっています。
上田さんは、京都アニメーション放火殺人事件犯人の元主治医でした。
本記事では、
- 上田敬博のwikiプロフィール
- 上田敬博の経歴
- 上田敬博の学歴
などをまとめていきます。
上田敬博のwikiプロフィール
- 名前 上田敬博(うえだ たかひろ)
- 生年月日 1971年
- 年齢 53歳(2024年時点)
- 出身地 福岡県福岡市
- 職業 医者
【顔画像】上田敬博
すごい記事を読んだ。ただそのひと言。/京アニ放火殺人事件容疑者に主治医・上田敬博が伝えたこと「俺はおまえに向き合う。絶対に逃げるな」 https://t.co/sVjlbIDfxU pic.twitter.com/yMxZJB5bmS
— 佐々木俊尚 (@sasakitoshinao) April 30, 2021
【本日放送】
— とりだい病院 広報 (@ToridaiHospital) August 12, 2022
夕方18:15からのBSS山陰放送『テレポート山陰』で、当院高度救命救急センター上田敬博教授のインタビューが放送されます。
第7波急拡大における、鳥取県西部の救急医療のリアルな現状についてお話します。
ぜひご覧ください。#とりだい病院 #救急 #新型コロナウイルス pic.twitter.com/IXAoKTWu0B
上田敬博の経歴
幼少期
上田敬博さんは、九州大学勤務医の一家に生まれました。
その後、父親の医院開業のために、北九州市に引っ越しています。
しかし、掛け算を覚えるのがクラスで一番遅く、スポーツも苦手だったため、劣等感を抱いていたそうです。
2001年の父の他界
上田敬博さんの父は、2001年に他界しました。
しかし、当時について、
悲しみに暮れつつも、涙は流さなかった。それ以来、感情を押し殺し、患者の感情に対しても割り切るようになった
研修医時代
研修初日に救急搬送された心肺停止の患者を救命できず、大きくショックを受けました。
しかし、救急対応には、「真剣にやらなければならない」という気持ちの変化が訪れています。
その後、大阪府済生会千里病院千里救命救急センターに移籍。
ここでは、2001年6月に起こった「附属池田小事件」を経験し、さらに兵庫医科大学病院救命救急センターに移籍してからは「JR福知山線脱線事故」を経験。
救命医として活躍
救急医になり、7年目になって熱傷治療を手がけるようになりました。
きっかけは、熱傷専門の医師が脳梗塞になったことで、専門的な手術をできる人がいなくなったため。
2016年の熊本地震の際は、DMATの隊員として被災地へ向かい、避難所で患者の応急処置を担しています。
京都アニメーション事件
2018年4月から母校の近畿大学病院で勤務。
熱傷が専門である上田さんは負傷者の受け入れを熱望しましたが、事件当日に負傷者が搬送されることは
ありませんでした。
36人が死亡した2019年の京都アニメーション放火殺人事件にて
— りん Charlotte (@CharlotteClarls) January 25, 2024
殺人などの罪に問われている青葉真司被告(45)に対し
京都地裁は本日25日に「死刑」を言い渡しました
どうせ・・
即日控訴し最高裁まで争う構えなのでしょうね
こんな殺人鬼を血税で生かさなきゃいけない矛盾
ハッキリ言ってクソだねw pic.twitter.com/1VkhSTxxf5
事件から2日後に、犯人が近畿大学病院に搬送、全身に熱傷を負い、「ちょっと厳しい」と上田さんは思っていました。
しかし、事件の被害者や家族のためにも「死に逃げ」させてはいけないという使命感を持ち、治療を開始。
手術は複数回にわけて行われ、5回目と6回目の手術で意識が回復した。
会話ができるようになるまで回復し、それ以来、上田さんは犯人と話しています。
センター教授に就任
2020年、鳥取大学医学部附属病院救命救急センター教授に就任。
2023年9月1日に京アニ事件の犯人の治療に当たった上田さんらの医療チームを特集した
#カンテレ『#ザ・ドキュメント 猛火の先に~京アニ事件と火を放たれた女性の29年~』👀
— めざましmedia (@mezamashimedia) August 31, 2023
京アニ放火事件の被告人の主治医・上田敬博教授ら医療チームに密着🩺
29年前の放火により全身の9割にやけどを負った女性の苦悩📹
9月1日(金)25時25分~関西ローカルhttps://t.co/qUVlEFioIt#伊藤淳史 pic.twitter.com/o9oanntlnf
この番組は、第61回ギャラクシー賞奨励賞を受賞。
2024年1月25日、京アニ事件の裁判で犯人に死刑判決が下されると、その日の午後に上田が記者会見を開いた。
目の前で絶命しかけている人がいたら救うのが私の職種。
犠牲になった方、遺族、被害にあった方、家族にとって、死に逃げさせてはいけない。
素晴らしい技術と人柄で多くの人を助けていたんですね!
上田敬博の学歴
上田敬博さんは、小学生ではサッカー。中学ではラグビー部に所属していました。
ラグビーを始めたきっかけは、小倉で行われた朝日招待試合を観戦したためです。
また、同志社大学と九州社会人選抜の試合で、同志社大学の平尾誠二さんのプレーを見て、ラグビーを本格的にスタート。
学歴~高校
福岡大学附属大濠高校
高校時代は、医師になるために、九州大学医学部を受験しましたが、不合格。
入学後は国立大学志向が強かった父を見返すためにかなり努力していたようです。
学歴~大学
近畿大学(医学部)
大学2年生のときに阪神淡路大震災で、ボランティアとして被災地を訪れています。
卒業後は心療内科へ進むことを考えていましたが、九州大学の医局長から「まずは一般内科、一般外科を市中病院で勉強したらどうか」と言われ、東神戸病院を研修先に選びました。
ラグビーチームに所属
また、大学時代では、社会人クラブチームでラグビーを続けていました。
卒業から10年後には、平尾さんが創設したSCIX(スポーツ・コミュニティ・アンド・インテリジェンス機構)で再びラグビーを再開。
ラグビーの経験は救急医療の現場でも生かされ、上田さんの診療スタイルは、タックルのように「逃げない精神」で正面から患者に向き合う。
重症患者が運ばれてきたら、個人個人が役割分担して、患者を救うという共通した目的のために全員で頑張るということがラグビーの「One for all, All for one」の精神に似ている
学生時代からやっていたラグビーの考えが今でも繋がっているんですね!
まとめ
今回は上田敬博さんについてまとめました。
最後まで読んでいただきありがとうございました。