【顔画像】永野一男の生い立ち!断末魔の叫び声が衝撃的だった?

【顔画像】永野一男の生い立ち!断末魔の叫び声が衝撃的だった?
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1980年代前半に起きた豊田商事による詐欺事件が話題になっています。

当時、事件の犯人として豊田商事の創設者・永野一男が挙げられました。

本記事では、

  • 永野一男の生い立ち
  • 永野一男の断末魔の叫び声が衝撃的だった?
  • 永野一男プロフィール

などをまとめていきます。

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目次

【顔画像】永野一男の生い立ち

永野一男
引用元:Twitter

幼少期

永野一男は、岐阜県恵那市で生まれています。

父親は病弱だったため、父方の祖父の農業で生活していました。

しかし、その後、祖父が亡くなり、両親は離婚。

母親の実家がある島根県に引っ越しました。

学生時代

学校

島根県の中学校に通っていましたが、母親が突然失踪したことで、

島根県浜田市国分町にある叔父の家で暮らし始めました。

母親の失踪理由については、近所から借金をしていたことが原因と明らかになっています。

デンソーに入社

永野一男は、中学卒業後、日本電装(デンソー)に入社しました。

当時は、定時制高校に通いながらの生活を送っていましたが、2年で会社と高校を辞めています。

その後は、仕事が長続きせず、仕事を転々とする日々を送っています。

商品取引会社「岡地」では、かなり優秀でしたが顧客の金を使うなどが判明して解雇。

また、24歳では、大垣競輪場のトイレでスリを働いて逮捕。

豊田商事を設立

逮捕から5年後の29歳で「大阪豊田商事」を設立しました。

当時の会社名について、

『豊田』と入れた理由は、大企業であるトヨタ自動車の関連会社だと
勘違いさせる事を狙った。

会社では、高齢者の自宅を訪れ、金を格安で購入できる契約を持ち掛けます。

また、実際に金を渡すことなく、「純金ファミリー契約証券」という証券を代金と引き替えに渡す。

被害総額は、約2000億円を超えるなど日本最大の詐欺事件と話題になっていました。

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永野一男の断末魔の叫び声が衝撃的だった?

永野一男
引用元:Twitter

永野一男は、逮捕直前に2人組の男性に刺殺されました。

犯人と永野一男は以下のやり取りをしています。

犯人:「金はもうええ。永野をぶっ殺してくれと頼まれたんや」「お前は死刑や!」「死ね!」

と永野一男に襲いかり、永野一男は「ギャッ」と断末魔の叫び声を挙げています。

断末魔とは:死ぬ間際の苦痛。

当時は、マスコミの目の前で刺殺されるなど、かなりの衝撃映像が放送されていました。

逮捕直前

詐欺事件を引き起こした永野一男は、1985年6月18日に「今日逮捕」という情報を聞きつけた

マスコミ取材陣が永野一男の自宅マンション前に集まりました。

そこに、二人組の男が押しかけ、永野一男が刺殺され、二人組はすぐに逮捕。

当時、永野一男は32歳で、結婚していませんが、内縁の妻や愛人がいました。

永野一男を刺殺した犯人

飯田篤郎
引用元:Twitter

永野一男を殺害した2人はの男は、大阪豊中市の自営業・飯田篤郎と、建築作業員・矢野正計の2人でした。

主犯は飯田篤郎と見られ、矢野正計にとって飯田篤郎は恩人だったそうです。

2人は詐欺事件の被害者ではなく、知人に頼まれて犯行に及んだと証言。

裁判では飯田篤郎には、懲役10年の判決、共犯の矢野正計には懲役8年の判決が下されました。

飯田篤郎は、出所後に結婚して、家賃7万円の3DKのアパートで暮らしているようです。

また、共犯の矢野正計は、出所後しばらく大阪で暮らして、雀荘の経営していました。

2010年頃には、大阪から広島に移り、結婚して子供が5人います。

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永野一男プロフィール

永野一男
引用元:Twitter
永野一男プロフィール
  • 名前 永野一男(ながの かずお)
  • 生年月日 1952年8月1日
  • 死没 1985年6月18日
  • 年齢 32歳
  • 出身地 岐阜県恵那市
  • 職業 実業家
  • 会社 豊田商事
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まとめ

今回は永野一男についてまとめました。

最後まで読んでいただきありがとうございました。

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