「ドラゴンボール」「ドラゴンクエスト」の生みの親である鳥山明さんが話題になっています。
鳥山さんは2024年3月1日に亡くなりました。
本記事では、
- 鳥山明のプロフィール
- 鳥山明の若い頃と現在の画像を比較
- 若い頃のエピソード3選
などをまとめていきます。
鳥山明のプロフィール
引用元:Twitter
- 名前 鳥山明(とりやま あきら)
- 生年月日 1955年4月5日~2024年3月1日(68歳)
- 出身地 愛知県名古屋市
- 血液型 A型
- 趣味 モデルガン、プラモデル
- 職業 漫画家、デザイナー
- 代表作 『Dr.スランプ』『ドラゴンボール』
鳥山明の若い頃と現在の画像を比較
若い頃の画像
引用元:Twitter
引用元:Twitter
鳥山さんは高校卒業後に地元の広告関係のデザイン会社「第一紙行名古屋支店」に就職しました。
しかし、毎回遅刻を繰り返したり、めんどくさい作業にやる気が出なかったことから2年半で会社を辞めています。
現在の画像
引用元:Twitter
デザイン会社退所後は1年間アルバイトとイラストの仕事をしていました。
そんな時に喫茶店で『週刊少年マガジン』の新人賞の作品募集の記事を見つけ、入賞すると賞金50万円が手に入ることを知りました。
23歳の時に初めて漫画を描き、1978年1月に『週刊少年ジャンプ』にも応募しています。
作品は入賞しませんでしたが、編集者からのアドバイスで漫画を描き続けることを決めました。
若い頃のエピソード3選
1981年:26歳の時
鳥山さん初めての漫画である「Dr.スランプ」は連載1年目で大ヒットを記録しました。
人気漫画家となり、マスコミなどが家に押し寄せるなどかなり大変だったことを明かしています。
また、当時「キン肉マン」の作者・ゆでたまご先生は、
![](https://yoshiki527.com/wp-content/uploads/2024/03/Boiled-eggs.jpg)
「Dr.スランプ」を見たときはアメコミ風の絵と洗練されたギャグで凄い奴が出てきたなと脅威を感じました。
アニメも連載1年目から決まって悔しかった。
めっちゃくちゃ仲悪かったです。
Dr.スランプは1981年~1986年の5年間フジテレビの毎週水曜日19時~19時30分で放送していました。
1984年:29歳の時
1984年には「ドラゴンボール」の連載を開始しています。
同年には「Dr.スランプ」の連載が終了して、すぐに「ドラゴンボール」が始まったので元々描きたい漫画だったそうです。
また、1983年には「徹子の部屋」へ出演して、素顔を明かしました。
「ドラゴンボール」連載前の鳥山明さんが「徹子の部屋」(1983年5月4日放送)に出演した際、結婚した漫画家のみかみなちさんもスタジオに来られている様子も撮影された貴重映像。 pic.twitter.com/ko1FLTIFmd
— あいひん (@BABYLONBU5TER) March 8, 2024
1986年:31歳の時
鳥山さんは俳優のジャッキーチェンさんと交流がありました。
ジャッキーチェンさんは「Dr.スランプ」の大ファンで会うことを喜んでいたそうです。
鳥山明先生とジャッキー・チェン pic.twitter.com/EIbxZN3GeJ
— ボンクラ映画館🎬ポッドキャスト (@bonkura_theater) March 8, 2024
元々、鳥山さんはブルースリーさん主演の映画「燃えよドラゴン」の大ファンで、学生時代には1日3回、10日間見ていたそうです。
また、「ドラゴンボール」というタイトルも「燃えよドラゴン」からきています。
ジャッキーチェンさんとは妻の勧めで「酔拳」を見てからファンになったことを明かしました。
漫画を描く際には、ジャッキーチェンさんの映画を流しながら作業することもあったそうです。
まとめ
今回は鳥山明さんについてまとめました。
最後まで読んでいただきありがとうございました。